徒然なるままな想い書き

日々の『思わぬ発見、気付き』をつれづれに。

あなたの見せている顔は何?作られる表の顔と曖昧になる裏(本当)の顔

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コミュニティによって変わる顔

最近は色々な人と関わるというよりも、もっぱら研究室(まだ大学院生です)の人たちとしか関わっていないのですが、そこでは先輩の方たちが多く、後輩として接することがほとんどです。一方、先日旧友たちと会ったのですが、その時には気の知れた友としてとてもフランクに接することができていました。この時に自分の素は、旧友と会った時かな?と感じたのですが、普段はこんなんじゃないなと一方で思い、自分の本当の性格(キャラクタ)ってどういうのだっけ?と思ったのが今回の記事のきっかけです。

 

コミュニティによってキャラクタがブレず、自分の芯をしっかり持っている人が羨ましいのですが、多くの人は自分と同じように、コミュニティごとに自分の表のキャラクタとなる顔を使い分けているかと思います(使い分け"させられて"いる?)。仕事とプライベート、亭主関白、先輩と後輩、様々です。昨今では嗜好や趣味の多様化、コミュニケーションツールの発達から、コミュニティごとに顔を使い分けることが非常に多くなっているかと思います。そんな状況だからこそ考えてみたいことが、本当の自分の顔というのは何だ?ということです。

 

自分の隠れている顔が分かるか?

自分の本当の顔というのは、一般的には本当に気の知れた人にしか見せないものかと思います。そして、それ以外の人に対しては、コミュニティに応じて別の顔をまとい、本当の顔を隠しているかと思います(隠させられているかも)。そして、本当の顔がバレそうになった時には、照れ隠しと言われるように、人の真似をしたり、普段とは違うことをしたりして、"一時的に作った顔"を身にまとって本当の顔を見られることから逃れようとします。

 

照れ隠しのような状況ではまだ本当の顔に気づいている状況と言えます。自分の本当の顔が分かっているからこそ、それを別の顔で隠そうとするのですから。ただ、今回言いたいように様々な顔を常時使い分けている状況となると、段々と自分の本当の顔って何だっけ?となり、ここは顔を隠すか否かという判断ができなくなってしまいます。

 

自分の本当の顔とは?

では自分の本当の顔とは何なのでしょうか?先ほど気の知れた人にしか見せないと書きましたが、それすらもしかしたら"気の知れたコミュニティ"での顔かもしれません。私が思うに、本当の顔というのは、人によって定義が変わるものだと考えています。私自身で言えば、本当の顔とは、自分の属するコミュニティでの顔の和集合であると考えています。そして、コミュニティごとにこの性格は含め、これは含めないと判断し、コミュニティごとに適用しているのではないかと考えます。一方コミュニティで獲得した新たな顔は、とりあえずの偽りの顔だったとしても、和集合として、いつの間にか自分の本当の顔に取り込まれていくのではないかと考えます。

 

私はコミュニティごとの顔の和集合だと考えていますが、考えようによっては他にも様々なものがあると言えます。例えば、自分の心の声での内部対話もひとつのコミュニティで、そこでの顔から他の外のコミュニティの顔を除いたもの(差集合)こそが本当の顔だという人もいるかもしれません。あるいは、どんなコミュニティに対しても見せている顔こそが本当の顔だとして、コミュニティごとの顔の積集合を本当の顔という人もいるかもしれません。自分にとっての本当の顔と、自分が属するコミュニティとの関係性は人によって様々と考えられるからです。

 

考えてみよう、自分の顔とは?

今回の記事では、コミュニティの中で作られる自分の顔、そして、それによって曖昧になっていく自分の本当の顔について書いてみました。読者の方もコミュニティでの自分のキャラクタを見つめなおし、自分の本当の顔(キャラクタ)とは何なのかを考えてみてもらえれば、新たな気付きがあるかもしれません。

 

ではでは。