徒然なるままな想い書き

何気なく見たり聞いたりした時に得られる『思わぬ発見、気付き』を読者の皆さまに届けています。

最適化しすぎるのもよくない。

最近仕事とかスマホでディスプレイの見過ぎで、基本的に目が疲れたまんまになっている今日この頃。

私の目はちょっと特殊で、片方は遠視気味で遠くのものを見る目、もう片方は極度の近視で近くのものを見る目といったように、役割分担しながらモノを見ています。

 

そのような中、遠視目は視力が下がっていないのですが、近視目の方が日々の見過ぎ労働のせいか、視力がどんどん落ちてきています。視力が落ちてくるのはまぁ視力が悪くなった方からすると当たり前かと思うのですが、問題は視力の落ちた先。視界がはっきりする限界距離が「普段私がスマホを眺めている距離そのもの」なのです。それでふと思ったのです。

 

「最適化されてない?笑」と。

 

それでこのブログタイトルです。スポーツや仕事、人間のやること何でもそうですが、慣れてくると動作や考えがブラッシュアップされ、まさに最適化されていきます。ただ、この最適化ですが、適用されるのはここで言う「特定のスポーツや、仕事」のみです。特定のものに対しては大きな効果を発揮しますが、最適化してしまったがゆえ、時として他の環境下では途端に足を引っ張ってしまうことがあります。今の私の近視目なんかまさにそうです。スマホの画面を見るときには、画面がとても見やすく、大きな効果を発揮するのですが、それ以外はまったく役に立ちませんし、むしろ立体視がしにくくなるため、生活に支障が出るレベルです。

 

しかも、この最適化、人間は器用なので、無意識にやっちゃいます。近視目も、近視になっていることは認識しているつもりでしたが、スマホに最適化されているのはこれを書いている今日初めて認識しました。

 

このように、特定の環境下では最適なので良いことなのですが、この最適化は別の環境になった途端、まったく使い物にならなくなってしまうケースが多いのです。このように考えて見ると、自分の仕事も当てはまっているように感じます。

 

仕事はよく「効率化」と叫ばれていますが、効率化の行き着く先は「最適化」だったりします。ですが、この最適化を「特定の環境下」でやってしまうと、変化の早い昨今の社会だとすぐに別の環境に変わってしまい、すぐに使い物にならなくなってしまいます。さらに最悪の場合、私の近視目のように他の環境に対応したくとも対応できないものになってしまう可能性もあるのです。

 

人間慣れて最適化、効率化するのは良いことなんですが、その最適化は「何の環境」に対してなされているのか、別の環境でも対応できるのか?

 

「特定の環境に最適化する」のではなく、「最適化する方法を最適化」する。

 

今日気がついた、「目」から得た1つの「視点」でした。

 

 

ではでは。

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