徒然なるままな想い書き

何気なく見たり聞いたりした時に得られる『思わぬ発見、気付き』を読者の皆さまに届けています。

何のために生きるのか?幸せの定義について考える

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はじめに

この記事から「ですます調」をやめることにする。より徒然なるままに書けるようにすることが目的。でも性に合わなかったら「ですます調」に戻すかも。

 

就活も終わりかけ、一つの節目

っということで本題。私そろそろ就活が終わりそうである。~そうと言っているだけあって正確にはまだ終わっていない。まあ、それは置いといて、この就活は色々と今後を考えるいい機会になったと思う。逆に今まで良くこれほどまで曖昧にキャリアプランを考えていたのかと後悔したほど。

 

そもそも大学までは生きる目的が外部要因が大きいとは言え、はっきりしていた。高校、大学の選択はほぼ数個のうちからの選択で済んだし、高校までなら地元のコミュニティ内で考えれば済んでいた。進学が目的であり、コミュニティと円滑に関わることで幸せだった。

 

けど、大学からは違った。自分の狭い考えは様々なコミュニティと関わることで絶対的なものから相対的なものとなり、自分が信じてやまなかったことが比較され、淘汰されていく。一つのものさしで測れることなんてなく、どれも多視点が必要ということを知る。様々な人が様々な目的で大学に通い、様々なライフスタイルで人生を過ごしている。就活でもそう。様々な人が様々な目的で働いている。自分の思い描いていた単一の仕事像なんてすぐに消えた。そんなこんなで、現在自分の芯の絶対的な考えというのが曖昧になってしまった。

 

これからの目的、幸せとは?

さて、そんあ曖昧に自分に対して、今後考えて置かなければならないと考えていることがある。人生の目的と、何を幸せとするかである。仕事の面では、ビジネスである限り、他者よりも秀でているならば、それは利益を生む。つまり、相対的に考えれば良い。しかし、一方でそのような相対的な物の考え方ばかりしていると、いつも他人を気にし、自分の目的や幸せというものも他人によって縛られてしまうのではないかと思ってしまうのである。まさに今の自分である。

 

今の時代、ものが溢れて豊かになってしまったがゆえに、選択肢が増え、相対的なものの見方をしがちになっていると言える。自分はこれが幸せだと思っていたとしても他を見れば色々な幸せの形があり、ついついそれと比較して自分の方が悪いと感じ、不幸に転じてしまうのである。

 

自分の絶対的な芯を持つ

さて、ここからが自分の主張であるが、他人を気にしないで、自分の芯の部分となる絶対的な考えを持つべきである。他人がどうであろうと、自分は〇〇が好きだから、これを軸に生きていく。また、〇〇をしている時が幸せ・楽しいと感じるから、これを生きがいにしていく、などである。相対的な考えであると、正直自分の考えの悪いところだけが目立ってしまう。そんな心持ちだと、良い考えでもどんどん悪い方向へと傾いてしまう。それよりかは自分の芯の部分を信じ、それに向かって進むほうが良いはずである。相対評価をしないことは勇気がいるが、絶対的なものにしか目的を設定したり幸せを感じることができないと考える。

 

こう考えてみると人間はおかしなものである。幼いころは情報がないだけに芯がしっかりしている。しかし、自分はもっと色々知りたい、成長したいということで一度外に踏み出してしまうと、情報の波に飲まれ、相対化によって自分の芯がなくなってしまう。そして、もっと色々知りたいということで飛び出したはずの幼いころの自分に戻り、再び純真無垢の絶対的な芯を求めるのである。

 

まとめ

人のライフスタイルはこれからもどんどん多様化していく。その中で、人の生きる目的や幸せというのもどんどん多様化していく。そんな中で、人と比較して目的や幸せを決められるだろうか?決められるとしたら何を評価して決めるのだろうか?それは自分の絶対的な芯の部分で決めるしかないと思う。周りになんと言われようとブレない芯の心で考えるしかない。

 

ではでは。

 

(感想)「である調」慣れないし難しい・・・