徒然なるままな想い書き

何気なく見たり聞いたりした時に得られる『思わぬ発見、気付き』を読者の皆さまに届けています。

絶対評価?相対評価?就職活動で想うこと

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いよいよ4月から本番

就職活動も大詰めとなってきました。4月からは面接が始まっていきます。私にとっては消費税増税よりもこちらが心配です笑。面接を前に自分をもう一度見つめなおし、自分の考えを整理しています。その中で最近思っていることは、日本の就職活動の不思議な点についてです。

 

なぜエントリー数を比べる?

まずは、某就活サイトにある、今あなたのエントリー数はこれだけで、一般的な同じ専攻の人のエントリー数はこれだけで、内定をとった人のエントリー数はこれだけです、といった表記です。平均がこれだけだから、あなたもこれぐらいエントリーした方がいいよ、というオススメです。ここで私は思うわけです。「絶対的なエントリー数の最適解でもあるのか?」と。こんなものはエントリー数の相対評価でしかありません。業種を絞っている人にとっては、そんなにエントリ―数を増やす必要はありません。

 

求める人物像

あとは、求める人物像です。我々は絶対的な〇〇な人物を求めています、といった表記です。正直、主観的には誰でもそのような〇〇にはなりえます。自分がそのように思っていさえすれば〇〇だと思えるのですから。でも実際は、他者が見た時にその人に〇〇があるかどうかが問われます。ではどうやって〇〇と思われるのでしょうか?その人に絶対的な〇〇があるからでしょうか?それとも、他よりも相対的に〇〇があるからでしょうか?

 

絶対評価相対評価が入り交じっている!

本来、就職活動のような人生のキャリアパスを決める上では、自分の絶対的な基準でもって決めるものだと私自身は考えています。それは絶対評価で決めるはずです。そして、企業側も絶対評価の元、〇〇を持つ人物や、その人がどのような志を持っているかを問いているように思えます。しかし、実際のところ世の中は大体が定員が決まっており、採用人数は固定、成功する人がいれば、その二番煎じは全て成功ではなく失敗になるといった、椅子取りゲームが起こっています。そんな中では、絶対評価でみんな素晴らしいから全員に椅子をあげることはなく、みんな素晴らしいけど相対評価でこの人達だけに椅子をあげることになります。絶対評価と言えば聞こえはいいですが、裏ではこのように無意識の相対評価が働いているように思えます。

 

その人の評価とは?

この評価の曖昧さには昔から疑問を思っていました。小学校のころは、ちょうど通知簿が相対評価から絶対評価に変わったところでした。また、大学入試では私自身は試験を受けて相対評価の元で認められて入学しましたが、最近は絶対評価AO入試などが数多く行われています。このように教育現場や就職活動では、絶対的な評価でもって、その人を評価しようという流れになってきています。しかし、先ほどから述べているように、世の中は相変わらず定員の決まった相対評価による椅子取りゲームが進行しています。意識下で絶対評価を目指しているが、潜在的な無意識下では相対評価を行っているといったところでしょうか?こう考えてみると、人が他者を判断する評価というのが分からなくなってきます。

 

まとめ

最近求められている個性というものも、このように考えてみると結局は相対的なものではないかと思えてきます。就職活動では起業しない限り、採用人数分の椅子を取り合う椅子取りゲームです。その中では絶対評価が表面上で謳われていますが、実際は相対評価で椅子が分配されます。その点を注意しておきたいところですね。

 

今回は多少言葉がきつい内容となりましたが、何か意見等いただけると幸いです。

 

ではでは。