徒然なるままな想い書き

日々の『思わぬ発見、気付き』をつれづれに。

Stay hungry, stay foolish. ~価値観を闘わせることで見えてくること

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 お久しぶりです、つれづれシバイヌです。前まで海外旅行に行っていて、Twitterではぼちぼちつぶやいていましたが、ブログはサボっていました。

 

旅行のブログはいずれどこかで書くとして、今回は海外旅行や卒業後のキャリアプランについて周囲の人たちと話した時に感じた、「価値観」について自分の考えを文章として残しておきたいと思います。

 

 

価値観

このブログの中でも、最近よく出てきた「価値観」というワードですが、辞書ではこんな意味です。

いかなる物事に価値を認めるかという個人個人の評価的判断。(三省堂大辞林より) 

 

価値観というのは厄介で、年齢を重ねるごとに凝り固まり、言わば「常識」として定着してしまうものがあります。例えば「結婚することは良いこと」。実際にこれが良いことかそうでないかは別として、これを何の疑いもなく盲目的に信じている節があります。

 

しかし、海外に行ってみると、その盲目的に信じてきたものに疑いの目を向けざるをおえませんでした。例えば、ベトナムに行った時に感じたのですが、ベトナムの交通にとって「信号を守ること」は何の意味もありません。あくまで進行可/不可の目安です。信号無視、ノーヘル当たり前です。こういったものの背景には、おそらく「交通に対する身の安全」に対する価値観の違いがあるのでしょう。

 

海外旅行もそうですが、最近では卒業に伴う今後のキャリアプランを周囲の人たちと話し合うときにも、「価値観の多様性」について考えさせられます。日本に住んでいるからなのか、就活の時でも感じていたのですが、一斉就活のせいもあって「やりたい仕事をやっている企業に就職して、いい年齢で結婚して、いい年齢で退職する」みたいなテンプレの価値観を信じて行動している人が割りと多く感じました。しかも、日本の国民性から、そういった自分の根底にある価値観の部分を相手に言って表に出すと相手の価値観との衝突が起こりやすいため、それを避け、あまり自分の価値観について深く考えないようにしているようにも感じます。

 

私自身もそうでした。このブログ上では価値観をだいぶ全面に押し出して言いたい放題言っていましたが、いざ現実世界では一部の気の知れた相手にしか価値観を押し出していませんでした。しかし、この卒業を通じ、キャリアプランとかの話をしていくと、自然に「何をしたいか」といった具体的な価値観にどうしても触れることになります。そこで、色々な人とお互いの価値観を闘わせるため、最近では価値観について考える機会が多くなっているのです。

 

ただ、色々な人と話していて厄介だと感じたことは、「価値観には正解がない」ことです。「この仕事で世界を変えてみせる」という志は良いのですが、その仕事の結果、世界に対して自分の価値観を押し付けてしまうことにもなります。その価値観が皆にとって良いものであれば良いですし、皆にとって悪いものであればおこがましいです。その判断基準は皆それぞれにあります。そのように考えてみると、「この仕事で世界を変えてみせる」と言っている人はどのような考えを重ねてこの価値観に至ったのかがものすごく興味があります(残念ながら聞けていませんが)。

 

また、価値観については、結婚もそうです。生物学的には子孫を残すことが遺伝子レベルで求められているので、その目的を達成する意味では正解です。しかし、今のような社会では結婚は足かせの部分も指摘されており、もはや絶対的な正解ではなくなっています。この考え方もとある価値観の1つです。人生の中で「結婚するかどうか」はもはや価値観によって選択するものとなりつつあります。人類の繁栄を無視しすることにはなるのですが。

 

このように、様々な国の人、身近な人の価値観に触れていると、自分の進む道に対してもどうしても疑いの目を持ってしまいます。自分はエンジニアなので、モノを創造してなんぼと考えており、技術を生み出して世の中を良くしたいと考えています。ただ、科学技術が発達して人間社会が高度になっていることは事実なのですが、果たして本当にそれで今後人間が幸せ、良くなっているかどうかについては若干の疑問を感じています。便利であるということは、人間が考えて行動する部分を単純化し、考えることをやめさせてしまいます。最近の人工知能は人間の代わりに考え、人間よりも良い解答を導きます。また、科学技術は軍事技術(むしろ軍事技術が科学技術となるのが真だけど)につながり、時として人間に牙を向けます。科学技術は人間社会を豊かにすることは事実なのですが、それが人間にとって良いものであるかどうかが段々分からなくなってきています。そして、それが言うなれば自分の仕事につながってくるわけで、そういった意味で自分のやるべき仕事について今考えることが多くなっているわけです。

 

価値観に対する思考ストップ

こうして考えてみると、どこか妥協点を見つけ、そこからあえて思考ストップしてその価値観で突き進むことが必要であるように感じます。「自分の価値観」を信じ、それを実現させるのです。一般的に価値観には正解がないため、「自分の価値観」に疑いを持っても、最終的な結論はあっても、答えは絶対にありません。なので、ある程度「自分の価値観」について考えた後は、そこで思考ストップとしてそれを信じて行動するしかないと思います。そして、行動の結果価値観に疑いが出ればまた考えればいいですし、そうでなければ突っ走るのが良いのではないかと思います。何にせよ、考えるだけで行動しないのは一番避けなければいけません(これもあくまで私の価値観ですけどね)。

 

 

Stay hungry, stay foolish.

ここまで考えてきて、ふとあの人の言葉が身に沁みてきます。Steve Jobsが言った"Stay hungry, stay foolish."です。講演会のスピーチの中でのまとめの言葉ですが、何だか自分が今まで考えてきたことの結論のような気がしてならないです。

 

Stay hungry

以前欲求についてはブログでも書きました。

 

欲求の高次になると、まさに自分の価値観が関わってきます。その欲求に対して、stay hugryでいなければなりません。hungryでないと行動できません。

 

Stay foolish

本来の意味とは違うかもしれませんが、所詮価値観には正解がないので、周りの価値観が正解と思わず、自分の価値観を信じて進むしかない、というように私には今感じています。

 

 

まとめ

今回は「価値観」について自分のモヤモヤしていた部分を吐き出してみました。多少まだ文章でもモヤモヤしていますが、何か考える機会になってもらえたら幸いです。繰り返しにはなりますが、価値観は正解はありません。考えすぎず、ほどほどに。

 

 

ではでは。