徒然なるままな想い書き

何気なく見たり聞いたりした時に得られる『思わぬ発見、気付き』を読者の皆さまに届けています。

『過去への意味付けが変わった』からこそ『今だから言える』

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なぜ「今だから言えること」は「今」なのか?

今週のお題「今だから言えること」です。「今だから言えること」に対して直球に答えることもできますが、今回はあえて、「なぜ、今なら言えるか?」について考えてみます。皆さんはどのようなときに「今だから言える」ようになり、なぜそうなるのでしょうか?

 

 

まず「今だから言えること」は言い換えてみると、「今でなければ言えなかったこと」となり、「過去・未来の時点では言えなかったこと」となります。「未来の時点では言えなかった」ということはありえませんので、「過去の時点では言えなかったこと」となります。そして、「言えなかったこと」は過去の時点でのことであり、「過去のこと」です。ここまで長ったらしく書きましたが、要は「今だから言えること」は「過去のこと」ですよねってことです。

 

 

では、「過去では言えなかったこと」がなぜ「今なら言えること」になるのか?それは、私たちのものごとの捉え方に原因があります。私たちのものごとの捉え方では、時間軸に沿って大きく「過去」「現在(今)」「未来」とあります。そして、私たちのその時間軸に対するものごとの捉え方はそれぞれ以下のようになります。

 

過去:現在から意味付けられたもの。
現在:知覚・経験するもの
未来:現在・過去から期待・予測するもの

 

現在はまさに「今」であり、色々なものを知覚・経験しています。それに対して、過去は現在から意味づけられたものと言えます。つまり、現在が変われば、過去の意味付けも変わります。

 

例えば、私が過去に経験した大学入試での浪人です。浪人をしていた当時(浪人時の現在)は、勉強に夢中で「楽しさも苦しさもないもの」でした。しかし、浪人時の大学入試で第一志望に入れなくて第二志望の大学に入学した大学1年生当初の私にとっては、浪人していた時(大学1年生から見た過去)は「意味のない無駄なもの」となっていました。さらに、今このブログを書いている2015年次点では、浪人していた時(2015年から見た過去)は「一つのことだけに向き合って集中できた大切な1年間」となっています。まとめると、同じ浪人をしていた時の捉え方でも以下のようにコロコロと変わっています。

 

現在:楽しさも苦しさもない
大学1年生から見た過去:意味のない無駄なもの
2015年から見た過去:一つのことだけに向き合って集中できた大切な1年間

 

過去の事実は変わりませんが、このように私たちは現在に応じて過去の意味付けをコロコロと変えているのです。ある意味現在に都合の良いように。

 

 

なぜ「今だから言える」のか?

そこで、再び「今だから言えること」です。なぜ「今だから」なのでしょうか?上で述べたことから、理由・原因は2つあります。

 

  1. 現在(過去当時)の捉え方ではなく、過去の捉え方(現在から意味付ける)となった

  2. 現在が変わり、過去の意味付けが変わった

 

1と2と書きましたが、結局は「現在から見た過去の意味付け」が理由・原因です。過去の意味付けがなされる、もしくは変わることによって「今だから言えること」になるのです。私も例として大学入試での浪人を書きましたが、これこそ「今だから言えること」です。というのも、昔まではその意味付けは「恥ずかしいこと」でした。ですが、現在ではその意味付けが変わり、「色々な経験ができた良いこと」というように意味付けが変わったのです(現在をポジティブに生きるためにに”都合よく”)。

 

 

まとめ

「今だから言えること」はなぜ「今だから言える」ようになるのかを考えてみました。「過去の意味付けが変わった」からこそ、「今だから言える」ようになると言えます。人間は所詮今を生きる生き物なので、今を生きるために「過去」の意味付けはコロコロと変わっていきます。よって、「今だから言えること」が自分の中でできあがったとき、それは自分の中で「過去の意味付け」が変わったタイミングであると言えます。

 

「今だから言えること」、それが頭の中で思い浮かんだ時、あなたにとってその過去の「意味付け」はどうなっているでしょうか?考えてみると面白いかもしれませんよ。

 

 

ではでは。

 

 

P.S.

今日2015年1月17日で阪神淡路大震災から20年経ちます。震災の悲惨さなど、事実は決して変えることはできませんが、現在から見た「過去の意味付け」を変え、震災対策や復興制度の充実に役立てていきたいものです。