百験は一文にしかず?文章のあるべき姿について考える
百聞は一見にしかず
ことわざ「百聞は一見にしかず」。
意味は、「繰り返し他人の話を聞くより、実際に見たほうが良く分かる」という意味です。例えば、友人の旅行のおみやげ話をどんだけ聞いても心には響かず、実際に自分も旅行先に行って見てみることで初めて自分の心にも響く、といったところでしょうか。
でも、実際に生活していると逆のこともあります。つまり、「百見は一聞にしかず」です。
例えば、普段見慣れてしまって何も感じない景色でも、まわりの人が「ここは実はこういう場所でこういう視点で見ると面白いよ」という一言を聞くだけで、途端にその景色を見る目が変わり、違った見方・捉え方になることがあります。
百験は一文にしかず?
私個人的には、この「百見は一聞にしかず」の「一聞」の持っている力にすごく憧れます。自分が頑張っても見ても気付き得なかったものを、たった一度「聞く」ことによって理解できてしまうからです。
そこで、このような力をこのブログで用いている文章に転用して考えてみたいと思います。そのため、「百見は一聞にしかず」の字を音だけ合わせて超恣意的に変えてみます。すると「百験は一文にしかず」とすることができます。「験」は経験で、「文」は文章とします。
こうすることで、何だか「文章を書く上での目標」と言えるような言葉が出来上がります。
人間って何かと行動して経験するわけですけれども、ただただ経験をしても意味がありません。経験から何かを抽出し、次に活かす必要があります。そのため、人間は何だかんだ普段の生活で色々と経験(百験)しているわけですが、抽出が上手く行かないがために、そこから何も得られないといったことが多々あります。
そこで「一文」です。もし自分の文章によって、その人が「百験」をしてでも得ることのできなかった知見、考えのヒントとなるものを「一文」として伝えることができたら、文章としてとても良い文章と言えるのではないでしょうか?さらに、「一文」とするため、できるだけ端的な文章とできたらなお良しです。そんな文章が書けたら、素敵だと思いませんか?
まとめ:文章を書くとは?
ブログに限らず、文章を書くということはコミュニケーションの一種です。文章を通じて、他者の考えを知ることもできますし、他者に考えを伝えることもできます。そのような中で、百験に勝る一文を書くことができたら、また、そのような一文を読めたら素晴らしいなと思います。
あなたは「百験は一文にしかず」な文章を書くことができているでしょうか?
ではでは。