徒然なるままな想い書き

何気なく見たり聞いたりした時に得られる『思わぬ発見、気付き』を読者の皆さまに届けています。

考えるから書くのか?書くから考えるのか?

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ついに50記事です!

最近更新頻度を上げて書いていましたが、これは、自分の隠れた目標「1年で50記事」のためでした。そう、12月(7日)にこのブログは1周年を迎えます(ぱちぱち)。

 

そこで、この記念すべき50記事目は、今までブログを書いてきて気づいた、考え(スループット)とブログで書くこと(アウトプット)の関係性について考えてみたいと思います。

 

 

考えるから書くのか?書くから考えるのか?

タイトルと同じですが、最近ブログを頻繁に書いていて、日常のふとしたことについても何かと考えるようになりました。今までは、「自分の持っている考えを書こう」というスタンスだったんですが、ブログで自分の考えを書いているうちに、「書いているから考えるようになっている」ようになったのです。そこでタイトルのような疑問が生じたのです。

 

考えるから書くのか?書くから考えるのか?

 

 

泣くから悲しいのか?悲しいから泣くのか?

この疑問と似た疑問で有名なものに、「泣くから悲しいのか?悲しいから泣くのか?」というものがあります。これは、情動と生理的変化の因果関係が、

 

情動→生理的変化

 

であるのか、

 

生理的変化→情動

 

であるのかという問題です。現在は、2つともの学説があり、それぞれ、キャノン・バード説ジェームズ・ランゲ説と呼ばれており、まだ明確な答えは出ていません。(皆さんは、泣くから悲しいのか、悲しいから泣くのか、どっちだと思います?)

 

ジェームズ・ランゲ説の方ですが、面白い例に、「吊り橋効果」というものがあります。これは、吊り橋という緊張する状況下において、「緊張する」という生理的変化によって、「一緒にいる異性に対して恋愛感情」が生まれるという効果のことです。お化け屋敷とかで一緒に怖い・緊張する体験をすると、お化け屋敷に対するドキドキが相手に対するドキドキと勘違いするといったところでしょうか?この例は、まさに生理的変化から感情が生まれるという説明にぴったりです。

 

 

考えることと書くことの関係性

では、今回の疑問、考えることと書くことはどういった因果関係なのでしょうか?正直これも上と同じで明確な答えはないとは思いますが、自分なりに考えてみたいと思います。

 

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ブログを書くにあたってのプロセスを上の図にしてみました。はじめに書くネタとなるものを、学び、経験することでインプットを得ます。次に、得られたインプットを元に、インプットを体系化、自分のものとして修得するスループット(考える)を行います。最後に、それを自分の外に出して他者に対して見えるものとするアウトプット(書く)を行います。

 

 

さて、この図を元に話を進めていきますが、問題は、「書くから考えるのか?考えるから書くのか?」です。私の中で考えるプロセスとして、考えたことでしか、アウトプットとして書くことはできないと考えています。そこで、考えたことをアウトプットとして吐き出した時、言わば考えはアウトプットとして外部記憶に格納されたもののようになり、スループットには新たな余裕が生まれるはずです。

 

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この新たな余裕により、新たにスループットとして考えることが可能となります。これは、「書くから考える」に当たります。つまり、

 

書く→新たに考えられる

 

です。

 

 

一方、元々スループットで考えすぎて、脳みそがパンクしている場合はどうでしょうか?この場合、考えたことをどこかに吐き出す必要があります。これこそがまさに書くというアウトプットです。

 

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これは「考えるから書く」に当たります。つまり、

 

考えすぎる→書いて外に出す

 

です。

 

基本的に人間の脳みそには限界があるので、ある程度考えたら、それを他者に見せるかどうかは別として、紙に書くなどして、一旦脳みその外に吐き出してやる必要があります。一旦脳みそに出してしまうと、その考えを外のものとして客観的に見ることができるので、考えが浅かったり、まだまだ考える必要があるなど、新たな気付きも得ることができます。

 

 

(再考)考えるから書くのか?書くから考えるのか?

さて、以上のように考えてみると、どうやらどちらのプロセスでもありえそうです。考えるから書くこともあるし、書くから考えることもあります。私の場合で言いますと、このブログの初期は考えが多くあったので、それをアウトプットとして書いている状況(考えるから書く)でした。そして後半、というか最近では、考えをアウトプットとして書いて吐き出してしまったので、スループットに余裕ができ、新しく考えることが増えている状況(書くから考える)です。

 

こうして書いてみると、結局脳みその容量とのバランスなのかなぁと思います。脳みその考えられる量、スループットは限界があるのに、昨今の情報化社会ではインプットが止めどなく入ってきてます。そのため、ある人はインプットをやめてしまったり、ある人はそれをスループットとして考えられなくなり、思考停止状態に陥ってしまったりします。

 

そう言った意味では、今の時代ではスループットに考えをためておくのではなく、上手にアウトプットとして吐き出し、それを外部記憶に残しておくなどすることが必要なのではないかと思います。

 

あと、考えというのは自分の中に留めておいても仕方がありません。アウトプットとして他者に働きかけることによって、初めて意味を成すものだと思っています。私の好きな考えとして以下のものがあるので、気になる人は読んでみてください。

 

 

その上で、ブログに限ったことではないですが、自分の考えを外に出し、他者に見てもらえる場があるということは非常に良い環境ではないかと思っています。このブログもまだまだ小ぢんまりしていますが、少なくとも自分にとっては、「考えるから書く、書くから考える」良い場となっています。

 

 

まとめ

今回は、ブログを書いてきて感じていた、「考えるから書くのか?書くから考えるのか?」という問題に対して自分なりの考えを書いてみました。これからこのブログも2年目に入るので、今まではどちらかと言うと自分の考える場、スループットの意味合いが強かったのですが、これからは、スループットの結果としてのアウトプット、書く文章の質、読みやすさなどを工夫できるように頑張って行きたいと思います。アウトプットが求められる現代社会ですからね。

 

ではでは。

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