徒然なるままな想い書き

何気なく見たり聞いたりした時に得られる『思わぬ発見、気付き』を読者の皆さまに届けています。

死を以って生を知る:対極からのみ得られる、対極の概念・理解

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はじめに

前回は失敗の話をしましたが、今回はそれも踏まえ、もう一個上のレベルの少し概念的な感覚の話をしてみたいと思います。

 

 

 

 

失敗の対極にある成功

前回は失敗と成功を対比して話しましたが、失敗と成功は対義語の関係にあり、対極の位置づけにあります

 

このような対義語は他にも色々あります。例えば、大小、表裏、give and take、などなど、様々です。自分のブログでも、これらのことに間接的ではありますが、これまで触れてきました。

 

 

 

 

 

二元論の話になってる?

そこまで考えてなかったのですが、対極の2つのことを取り上げて書いていることから、自分は割りと二元論で考えがちなのかなと最近思っていたりします。ここで、二元論とは、

 

世界や事物の根本的な原理として、それらは背反する二つの原理や基本的要素から構成される、または二つからなる区分に分けられるとする概念のこと。(Wikipediaより)

 

です。二元論の是非はさておき、考え方としてはありの考え方だと思います。さて、この二元論的な今までの私の思考、ブログでの文章から、共通して言えることがあります。

 

それは・・・

 

 

 

対極を知ってのみ、対極を知る

それは、「対極を知ってのみ、対極を知る」です。失敗があるからこそ、成功というものが理解でき、死があるからこそ、生というものが理解できるということです。まさに人間の相対的なものの見方・考え方が反映されているかのようです。

 

 

「生死」

例えば「生死」です私の祖父が亡くなった時、祖父の死自体に対する悲しみも当然合ったのですが、それと同時に、自分の生が相対的に際立ち、必然的に自分の生について考えさせられてしまいました。それは、普通に生きている上ではなかなか感じることができない感覚でした。「死があるからこそ、生というものがある・考えさせられる」、そんな感覚でした。

 

 

「元気と病気」「大切な人の有無」

他にも例を挙げれば色々とあります。生死に近いですが、「元気と病気」。病気にかかって初めて、自分の普段の元気な状態の良さ・生活のしやすさを実感することができます。また、「大切な人の有無」。映画とかで定番ですけれども、「失ってから初めて気づく」というやつです。大切な人が無くなることによって初めて、大切な人が有る・いるということがどういうことかに気づくことができます。

 

 

 

まとめ

結局書いてみれば当たり前じゃん、という内容ですが、私たちはこういった認識を絶対的にとらえているのではなく、相対的に行っています。恋愛において「ギャップがモテる」とかいうのも、根っこは同じです。

 

 

ここから言えることは一つです。「何かを得たければ、その対極のものを得よ」です。成功は、失敗を得ないと実感を得られません。幸せは、不幸からの相対評価であり、不幸を知らなければ実感を得られません。

 

 

所詮根っこが二元論なので、すべてがすべてに適用はできませんが、人間は二元論相対評価で認識している部分が今回述べたように数多くあります。あなたのものの見方、認識はこれらと比べてどうでしょうか?ご意見お待ちしております。

 

 

ではでは。