徒然なるままな想い書き

何気なく見たり聞いたりした時に得られる『思わぬ発見、気付き』を読者の皆さまに届けています。

なぜ失敗を避ける?失敗・危険のみ知る自分の限界と成長

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失敗・危険

最近、我々大人でもそうですが、特に子どもにおいて、「これは失敗しそうだからやめとこう」、「ここは危険だから遊ばない」という、失敗・危険の回避の傾向が強まっているように思えます。

 

確かに失敗は何かしらの損失を伴うものですし(特に金銭的に)、危険は生死を決定する要因になりえます。気持ちは大いにわかります。だからこそ、我々はこれら失敗・危険は本能的に避けようとしますし、親の場合は、それを知らない子どもを(過)保護し、子どもの意に構わず、これらを避けさせます。

 

 

「失敗・危険」は「自分・自分の限界を知る」ということ

しかし、みなさんももはや経験則で分かっているでしょうが、失敗・危険は二面性を持っています。

 

 

失敗ということは、

 

何かできない(していない)ことがある→挑戦する→成功or失敗をする

 

という過程を経て生まれます。これより、失敗は、

 

失敗→「自分はその何かができない(限界)」を知る

 

ということにつながります。ところが、これが成功の場合、

 

成功→自分の限界はまだ先にある→自分の限界はまだ分からない

 

という流れになってしまいます。

 

 

 

人間は、限られた時にしか自分を見つめなおしたり、知ったりすることをしません。その中でも失敗は、「自分の限界」を必然的に知る機会であり、自分のことを考えざるを得ない経験となります。これは、成功からは絶対に得られない経験です。

 

危険もそうです。危険も、「自分の命」を必然的に知る機会であり、自分のことを考えざるを得ない経験となります。これは、安全からは絶対に得られない経験です。

 

 

自分・自分の限界を知らない人たち

このように、危険・失敗は自分・自分の限界を知る絶好の機会となります。ですが、昨今はこの危険・失敗のリスク面のみが問題とされ、その裏にあるメリットの部分が置き去りにされています。確かに言ってみれば危険・失敗はハイリスク・ハイリターンなのかもしれませんが、対極にある安全・成功からは自分の成長には何もつながりません。

 

最近(過)保護を受けている子どもの場合、それが特に問題となると思います。子どもの時期というものは、まさに絶好の成長期です。そんな成長期に、危険・失敗を親たちに避けられ、自分の限界を知る機会を奪われた場合、子どもたちは一体どうなってしまうんでしょうか?私は、自分の限界を知ることなく、自分の限界に挑戦するということすら考えられなくなる、消極的な子どもたちが生まれてくるような、そんな予感がします。このように親が子どもを規定することは、以前の記事でも触れています。

 

 

 

まとめ

今回は、最近避けられている「失敗・危険」の二面性について書いてみました。失敗・危険は確かに高いリスクを伴います。ですが一方で、その高いリスクを負うことによって私たちは自分自身を成長させることができ、個人の成長、また、その集積による社会の発展が実現できたのだと考えています。生きる以上、リスクは必然的に伴います。「失敗・危険」というものを考えなおし、自分・自分の限界を知って成長するリスクを負うという選択肢を持ってみてはどうでしょうか?

 

 

ではでは。