徒然なるままな想い書き

日々の『思わぬ発見、気付き』をつれづれに。

何を求め(take)、行動(give)するのか?give and takeから見る人の関わり方

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give and take(ギブアンドテイク)

皆さん、一度は聴いたことがあると思います、このフレーズ。

意味は、

give (与える) + take (受け取る) = give and take (公平にやりとりする)

という意味です。与えることと受け取ることが双方にあるので、「公平な」やりとりをすることになるのです。

 

giveとtakeの意味合いとは?


『Take』捉え方を変えて、本当の『Give and Take』の形を考える - M-Labo

 

最近この記事を読んで、色々とgive and takeの捉え方について考えてみました。そこで、今回はgive and takeについて色々と考えたことを徒然なるままに書いていきます。ただし、今回はことわざ的なgive and takeというわけではなく、「give: 与える」と「take: 受け取る」の関係について書いていきます。 

 

偽善

偽善という言葉の意味は、

 

偽善:外面的には善い行為に見えても、それが本心や良心からではなく、虚栄心や利己心などから行われる事(Wikipediaより)

 

です。偽善を、give and takeで捉えてみると、

 

give: 見せかけの善いことを行う
take: 虚栄心、利己心を満たす(自己完結)

 

といったところでしょうか。give and takeというより、give for takingとでも言えば良いでしょうか、takeありきのgiveです。

 

ですが、これはあくまで偽善者本人から見たgive and takeです。この行為を偽善をされた人から見てみましょう。(あくまで行為であり、偽善者の印象ではなく。)

 

take: 自分にとって利益のある行為を受ける
give: 感謝の気持ちを伝える、対価を払う、など

 

 「やる善よりもする偽善」という話もありますが、これらは一連の偽善行為のうち、どこにフォーカスを与えるかの違いによると思います。偽善者本人にフォーカスするならば、偽善者の行為は欺瞞によるものなので悪と感じます。一方、偽善者の行った行為の結果にフォーカスするならば、結果に偽善者の思想は関係なく、結果によって利益を得られるので善と感じます。偽善者だけのgive and takeだけでなく、偽善行為を受けた人のtake and giveを考えることによって、ずいぶんと見方は変わってきます。

 

ここらへんの話は以前もしたことがあります。

先ほどのリンクの記事を読んだ時、まっさきにこの記事で考えてたことが浮かびました。人間の行動原理からして、欲求(目的)のもとに行動が起こるわけですから、欲求が自分発である限り、どんな行動も自分の目的が入っていることは確かです。それに付随して、それが相手の利益になるかそうでないかが関わってくるだけです。こうサバサバと客観的に書いてるとちょっと悲しくなりはしますが・・・。

 

take and give から give (and take)へ

昨今のマニュアル人間の増大から、なかなか主体的に行動ができない人が増大しています。主体的に行動ができないということは、他者との関わりにおいても、giveから始まらず、takeしたから、それに合わせて相手にgiveするといった感じです。take, so giveとでも言えば良いでしょうか。

 

take発で考えた場合、それが受動であるかぎり、人との関わりにおいてもいずれ限界を迎えてしまいます。そこで、より人との関わりを良くするため、能動的なgive and take、すなわち、give then takeを実践することが必要となってきます。

 

とはいえ、then takeとしてしまうと、必ずしもtakeは可能ではなく、一方的にgiveをするだけで、takeの旨味を得られないという可能性もあります。そこでどうするかですが、それは、格好良くいうと「見返り(take)を求めないgive: give (and take)」です。そんなんできるかコノヤローかもしれませんが、見返りを他者に直接求めなければ良いのです。代わりに、見返りを自分に帰属させればよいのです。giveによって、「自分はこんなことができるようになった」「こんなことに気づいた」などです。リンク記事と一緒になっちゃいますが、takeを自己完結したものにしてしまえばよいのです。他者からのtakeももちろんgive then takeで得られることもありますが、他者からのtakeはあれば儲けものといった感覚になれば良いかと思います。あっ、もちろん、これらはgiveの行動結果が他者にとって善であることを前提としています。自分のためといって、他者に悪を与えるのはここではナシです。

 

ここで、具体例を挙げてみます。例えばこのブログです。書く行為は、このブログの読者に対するgiveです。そして、それに対するtakeの捉え方は、

 

自己完結:文章が上手くなった、思考の整理となった
他者:はてなスターはてブ、コメントをもらった(承認欲求)

 

と、自己完結・他者の両視点で、どのようにも解釈できます。要はgiveさえすれば、takeの捉え方は「ある程度」はどうにでもなるのです(あくまでも「ある程度」です。承認欲求のプライオリティが高い人には難しいかも)。あなたも、自分のgive and takeの捉え方について一度感考え、それがgive then takeかtake then giveなのか、また、takeに何を求めているかぜひ考えてみてください。

 

まとめ

今回はgive and takeという言葉を通じて、偽善や、giveとtakeの関係性について書いてみました。最後の方は結構正論くさい文章になってしまったので、give and takeをどう捉えていけばよいか、考えのある人は御意見お願いします(^^)

 

ではでは。