徒然なるままな想い書き

日々の『思わぬ発見、気付き』をつれづれに。

異なる自然観とゴキブリ感覚:映画「アバター」を見て想うこと

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映画「アバター

今回も映画を見て抱いた感想や考えを書いてみます。私の映画スタイルは最新の流行には囚われないので、今回も昔の作品です笑。その名も「アバター」、大体の人は名前は聞いたことあるでしょう。2009年の作品です。

 

 

さて、このアバターですが、概要はいつものようにWikipediaさんに任せます。

アバター (映画) - Wikipedia

 

では、以下で感想や考えを書いていきます。ネタバレ注意です。

 

 

 

 

 

 

 

 

映画を見て考えたこと

この映画を通じて、2つの点が気になりました。それは、「自然(神)に対する捉え方」「ナヴィに対する捉え方」です。以下でそれぞれ書いてみます。

 

自然(神)に対する捉え方

これは、構図が似ている「もののけ姫」と比較して感じたことです。

もののけ姫 [Blu-ray]

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この2つの映画は構図が似ています。というのも、 「アバター」も「もののけ姫」も、「エイワ:シシ神」という神が森に存在する中、「クオリッチ:エボシ」という人間が自己の信念に基づいて森に侵攻し、それを人側(アシタカ:ジェイク)と森側(サン:ネイティリ)が侵攻を阻止するという点が似ているからです。

(ちなみにもののけ姫の構図はもっと深かったりもします→「もののけ姫」の基礎知識

 

構図自体に関しては似ているからといって、2つの映画でそれぞれ伝えたいメッセージが異なるので問題なく良いとは思っていますが、一つだけ気になる点がありました。それは、「自然(神)に対する捉え方」です。

 

 

 

アバターでは最終的にはエイワ(神)がジェイクに味方し、森側が人側に勝利することになります。一方、もののけ姫ではシシ神(神)は首を取られてからは暴走したものの、人側にも森側にも味方するということはありませんでした。ここに何だか東洋と西洋の自然観の違いが出ているような感じがしたのです。

 

 

庭木の剪定がいい例だと思います。西洋では、自然は客観的に捉えてコントロールする考えの傾向があります。庭木の剪定においても、左右対称に切られるなど、秩序良く庭木が整えられます。一方東洋では、自然はコントロールできないものであり、人を含めて調和しようとする考えの傾向があります。庭木の剪定においても、全体での調和を考え、左右非対称であったり、時には人間から見るとアンバランスであったりします。

 

今回の映画でも、もしかしたらその違いが表れているのかなと思ったのです。もちろん、自然観は西洋・東洋で単純に切り分けられるものではないことは重々承知ですけども、アバターでは人の願いに対して自然の長である神がコントロールされてしまったことと、もののけ姫では神はただただ人にも森にも関係なく暴走したことは、まさに自然観の違いの表れであるように感じました。どちらが正しいとかはないんですけどね。

 

ナヴィに対する捉え方

ナヴィは先住民族ということで、人間とは違う見かけで描かれていました。つまり、普通の人間(スカイピープル)とは異種の存在でした。これに対するジェイクとクオリッチの捉え方の対比が印象的でした。

 

 

 

ジェイクはナヴィと生活を共にし、ナヴィの考え方に共感していくことで、次第にナヴィたちに惹かれ、最終的には自らがナヴィへと変身するまでに至ります。つまり、ジェイクにとってはナヴィは「共感できる、仲間という存在」です。一方、クオリッチにとってはナヴィは自分の利益を損ねる障害物であり、排除すべき存在です。実際にクオリッチはナヴィをゴキブリとまで呼んでいました。

 

ここで思ったことは、「人間は何を仲間の存在とし、何を排除すべき存在としてみなすのか」ということです。生理的といえばそれまでですが、人間は同じ人間はもちろんのこと、哺乳類全般は自分の仲間として捉えがちですが、一方ゴキブリなど害虫と呼ばれるものは積極的に排除しています。

 

クオリッチの言葉にも出たこのゴキブリですが、私たちは何も考えず気持ち悪いというだけでゴキブリを駆除してしまっています。もしかしたら、クオリッチもこのゴキブリ感覚でナヴィを排除しようと考えたのかもしれません。映画の中ではどうしても観客はナヴィに共感してしまうので、クオリッチを悪者のように感じてしまいます。ですが、改めて考えてみてください。クオリッチにとってのナヴィがまさに発した言葉通りの「ゴキブリ感覚」ならば、皆さんもクオリッチの感覚に共感できるのではないでしょうか?

 

人間は同族のもの、仲間をとても大事にします。その一方で、自分とは見かけの異なるものや、考えの異なるものは悪く言えば「ゴキブリ感覚」とでも言えるくらい、排除する存在としてみなしてしまいます。これが人間同士になると、差別につながるわけです。差別は無意識的なものでもあるので厄介ですが、幸福にも人間の場合、ゴキブリと違って意思疎通ができます。意思疎通ができれば、ジェイクとナヴィのように、互いに分かり合えることだってできます。そうやって考えてみると、やっぱり意思疎通って大事ですね。

 

 

まとめ

今回は映画「アバター」の感想ということで、「自然(神)に対する捉え方」と「ナヴィに対する捉え方」の2点について考えてみました。人間のモノの捉え方っていうのは正解はありませんけど、このように捉え方について考えてみるのも面白いのかもしれませんね。

 

ではでは。