徒然なるままな想い書き

日々の『思わぬ発見、気付き』をつれづれに。

なぜ読まれない?知られない記事と知られる記事

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知られないよりも知られたほうがマシ

「意識高い系」の行動は揶揄されがちだが、実は役に立つという話 - リクナビNEXTジャーナル

この記事を読んでふと思ったことがあるのでぼやいときます。

 

意識高い系もブログの釣り・炎上系も、結局は尖っていることを書いているから注目され、叩かれているはずです。ネガティブの印象を皆から受けることがほとんどですが、皆から注目されていることに変わりはありません。

 

ですが、たとえ印象がネガティブであろうと、注目を受けることによって、その記事に対して何らかのコメントや議論が発生し、記事に対するフィードバックを得ることができます。そのフィードバックは悪質な揶揄である可能性がありますが、フィードバックさえあれば、それに対して記事に対する何らかの改善、対応策を得ることができます。

 

一方、尖っていることを書かない場合はどうなるでしょう?たとえ良記事だとしても尖っていないので気づかれず、注目はされないでしょう。そして、注目されていないということは、皆に知られていないということを示します。そして、皆に知られていないということは、記事としては存在していないのと同義です。記事として存在するには、誰かに知られる必要があると考えます。

 

そして知られないことの最大の短所は、記事に対するフィードバックが得られないことです。どんなに良記事だろうとも、知られずにフィードバックがなければそれが本当に良記事かどうかも分かりません。また、どんなに悪記事だろうとも、知られてフィードバックがあればそれが悪記事だと分かり、それに対する改善、対応策も見つかるはずです。例え悪い点があろうとも、知られないよりも知られたほうがマシなのです。

 

さて、ではどうやって記事としての存在を知ってもらうことができるのでしょうか?SEO対策もありますけど、やはり尖った記事を書くしかないのでしょうか?一度注目されれば固定読者もつくので、そういう点を踏まえ、始めは読者集めの注目される記事を書かなければないのでしょうか?(私は既に始めて結構経っちゃっていますが)

 

さぁ、これを読んでいる皆さんは、どうやって自分の考えや主張を他に知ってもらっているのでしょうか?私はブログを通じて、その方法に悩んでいる今日このごろです。ただのぼやきネタでしたが、以上です。

 

ではでは。