徒然なるままな想い書き

何気なく見たり聞いたりした時に得られる『思わぬ発見、気付き』を読者の皆さまに届けています。

一度考えてみよう!ふるさとの人に会えることの意味

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今週のお題「ふるさと・夏」

今週のお題投稿2回目です。「ふるさと・夏」です。

今年もお盆に時期に帰ってふるさとの人(家族、旧友、親戚)と会い、いろいろと考えたことがあったので書いてみます。

 

夏(お盆)で会うふるさとの人の変化

お盆では普段会えない人と会う機会が数多くあります。普段会う人は毎日会っているので変化をあまり感じませんが、普段会えない人の場合は、逆に変化をものすごく感じてしまいます。間欠強化に見る、人間の確率嗜好(思考)で書いたことまではいきませんが、やはり滅多に会えない人のインパクトは強烈です。最近ではいとこが結婚すると聞いて、子供の頃から遊んできたいとこがいつの間に!と、時が経ったことと、人間は変わっていくんだとひしひしと感じました。お盆の時期の歳をとった感はものすごいです。

 

親戚の年代の広さ

大学進学を機に外に出るまでは感じていませんでしたが、お盆という様々な年代と会う機会はかなり貴重な場であると感じるようになりました。大学では同年代の学生のみですし、職場といえども、働き手のみで、小中学生や高齢者とは関わりはあまりありません。それに比べ、お盆という場は年代が幅広く、ビジネストークなど必要なく気軽に交流することができます。こういう場は本当に重要なんだと今更ながら感じています。

 

「顔を出す」、「会う」ことの意味

大学進学前は、良く家族に「親戚に顔を出してこい」などと言われて、なんだ面倒くさいなと感じていたのですが、最近はその意味合いが分かってきたように思います。

 

大学進学前は、毎年会えるのだから顔を出したり会ったりすることの重要性をあまり感じていませんでした。ですが、大学進学後の一人暮らしや、祖父の死をきっかけにその認識がだんだんと変わっていきました。「あと、自分はふるさとの人(家族、旧友、親戚)とどれだけの時間を過ごすことができるんだろう?」と。身の回りの友人や職場仲間とは会いたいときに会え、多くの時間を過ごすことができます。ですが、ふるさとの人とは地理的問題や仕事などの問題で、中々お盆や正月といった限定的な時間でしか接することができません。自分の親といえども、もしかしたらもう時間的に1年も一緒には過ごさないのかもしれません。そう考えると、自分と関わりのある人には、どれだけ面倒くさいと感じても、「顔を出す」、「会う」ということはとても意味のあることだと感じます。

 

 まとめ

自分が小中学生のころは、お盆は夏休みの一部、親戚と会う場でしかありませんでした。ですが、この歳になって、お盆は「ふるさとの人と会う場」となり、その大切さを感じたり、人の時の流れによる「変化を感じる場」となってきました。自分の中で考え方が変わっており、そのことに対しても「歳をとったなー」と自分の変化を感じています。

 

みなさんにとって、ふるさとの人と会える場、お盆の意味はどういうものでしょうか?

 

ではでは。