徒然なるままな想い書き

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生来ギャンブル好き?間欠強化に見る人間の確率嗜好(思考)

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間欠強化

今回は最近知った心理学での「間欠強化」というワードを元に、人間の確率に関する行動原理や、求めるものについて考えてみたいと思います。

 

まずは間欠強化の意味。

間欠強化:ある行動に対して、報酬が連続的に必ず与えられるよりも、報酬をあげたりあげなかったりと、確率的に与えたほうが、ある行動が強化されること

 

この間欠強化はみなさん必ずは体感されていることと思います。どんなに幸せと感じていても、それがいつまでも続くとマンネリ化してつまらないと感じ、一方で時々些細な良いことが起こると些細な事にも関わらず、テンションが上がるかと思います。また他にも、ギャンブルやスマホゲームはこの間欠強化と射幸心の煽りの最強タッグですし、恋愛テクでももてはやされていたりと、色々なところでこの間欠強化は知らず知らずのうちに身の回りで感じ取ることができます。

 

間欠強化=情報量が多いほど大きい

この間欠強化ですが、情報理論において、情報量という概念があります。Wikipediaの言葉を引用すると、

 

情報量(じょうほうりょう、エントロピーとも)は、情報理論の概念で、あるできごと(事象)が起きた際、それがどれほど起こりにくいかを表す尺度である。ありふれたできごと(たとえば「風の音」)が起こったことを知ってもそれはたいした「情報」にはならないが、逆に珍しいできごと(たとえば「曲の演奏」)が起これば、それはより多くの「情報」を含んでいると考えられる。情報量はそのできごとが本質的にどの程度の情報を持つかの尺度であるとみなすこともできる。(Wikipediaより)

 

です。つまり、確率が小さいほど、情報が大きいと考える量の尺度のことです。これ、間欠強化の考えだとぴったりだと思いませんか?(そもそもヒューリスティックな学問なので当たり前ですが)つまり、報酬が与えられる確率が小さければ小さいほど、それは多くの喜び、強化(情報量)を持つということです。こうしてみると、間欠強化という心理学の現象が、数学の情報量によって説明できそうです。

 

情報量の多いものを人は求める

はじめは間欠強化ということから考えてみましたが、情報量を多く得たいという考え方がベースとしてあるように考えられます。この情報量を応用して考えると、間欠強化と組み合わせて、以下のことにも応用ができるのではないかと考えます。

 

勉強、学習

よく一夜漬けで何でも覚えてしまえという方がいますが、私は断然反対です。それよりも、毎日少量に分けて覚えていったほうが断然いいと考えています。少量のほうが一日に占める時間的な勉強の確率が小さくなり、勉強に対する報酬が多く得られるはずです(一夜漬け:もうしんどい、終わりたい 毎日:少なくて嬉しい)。また、一日の学習量も小さくて済むので、学習しやすいはずです。さらに、一夜漬けは数日経つと学習内容を忘れやすいですが、報酬の多い毎日少量学習は内容が定着しやすいです。長期的な結果主義の考え方からすると、一夜漬けの100点よりも、毎日少量学習の60点の方が私は絶対良いはずです(一夜漬けは時間が経つと0点になる)。

 

好きなことは「必ずする」よりも、「たまにする」

これは結構心の持ち方の話ですが、好きなことは必ずマンネリ化します。情報量の考え方からすると、長い間好きなことをしていると時間的な確率が高くなり、減った情報量の分だけ楽しさが減ってしまうからです。そこで、時間的な確率を"わざと"高くしないという手が必要となるのです。例えば、お酒好きだとすると、「毎日飲む」のではなく、「毎週〇曜日に飲む」とするようにすれば、確率は1/7で維持でき、お酒の楽しさは持続します。このように、好きなことは毎日して確率を1にするよりかは、毎週にしたりたまにしたりすることで、確率をより小さくしたほうが楽しめるはずです。

 

まとめ

今回は最近知った心理学での「間欠強化」というワードを元に、人間の確率に関する行動原理や、求めるものについて考えてみました。学習したい、楽しみたいと考えるならば、毎日連続的にするよりも、たまにすることが重要です。刹那的に考えると、ついついずっと好きなことを連続的にしたいと考えてしまいますが、長期的に考え、好きなことを好きなこととして続けるためには、あえて「たまにする」という勇気が必要なのではないでしょうか。

 

ではでは。