徒然なるままな想い書き

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「自由な時間」を使いこなせている?私たちの時間の使い方

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技術の進歩により、「自由な時間」が増加

技術の進歩は、人に対してより自由な時間を与える方向へと進んでいる。例えば飛行機は他の陸上交通機関よりも格段に早く目的地へと行くことができ、その分時間を自由に使うことを可能にしている。また、家電は人が手で行ってきたことを機械によって自動化し、人は家電がその作業をかわりに行っている間の時間を自由に使うことを可能にしている。こうして考えてみると、自由な時間の獲得が目的であるかのごとく、技術の進歩に邁進しているようにも思える。

 

人は果たしてこの「自由な時間」を使いこなせているのか?

しかし、この技術の進歩によって得た「自由な時間」は、実際は上手く使いこなせているのか?と最近感じていることが、今回の記事で言いたいことである。

 

例えば、電車の中。電車は人が単に歩いていくよりも格段に早く目的地に着くことを可能にした。さらに、電車に乗っている間もある程度の作業が可能であり、その面でも私たちはかなりの「自由な時間」を手にしている。しかし、実際にその「自由な時間」を私たちはどのように使っているのだろうか?考えてみて想像して欲しい。最近の人の多くはスマホを弄っているであろう。そして、最近某IT企業たちが隆盛しているように、多くはメッセージやゲームに夢中になっているであろう。

 

これは持論であるけれども、スマホのメッセージやゲームは時間対効果がとても低いのではないかと考えている。メッセージやゲームをして、何を目的として、何をメリット・効果として得ようとしているのか良く分からない(知ってる人はぜひコメントを)。メッセージでのコミュニケーションは相手から様々な情報が得られるであろうが、対面に比べれば効果は格段に低い。ましてゲームは単なる暇つぶしとしか正直私には思えない。睡眠を確保するという意味で、まだ居眠りの方が時間を使えているのではないかとも思う。

 

「自由な時間」の使い方は、人々を二極化する

さて、電車でいうと、一方で本を読んで勉強したり、ぼーっとしてながらも何かを考えている人たちもいる。こういう人たちは、個人的には「自由な時間」を使いこなせているように思える。

 

1日は24時間しかない。どんなに足掻いても24時間である。さらに睡眠、食事、仕事など、一日に必ずしなければならないことを引いていくと、「自由な時間」は意外とわずかしかない。ただ、このわずかな時間こそが、技術によって手にした「自由な時間」である。人間の睿智の結果とも言える大事なものである。

 

人は言われたことをやることは意外と簡単である。「マニュアル人間」がまさにいい例である。一方、自由な時間を自分で決めて使うというのはすごく難しいことではないだろうか。だからこそ、射幸性の強いギャンブルやゲームにその自由な時間が流れて行きやすいとも言える。しかし、これから技術の進歩により、さらに自由な時間が増えていくことを予想される限り、この「自由な時間」の使い方が人を左右していくことになるのではないだろうか。「自由な時間」で何かを必死に考えたり行動したりして自分を成長させることにつなげるか、もしくは無意識に何となくゲームをして暇つぶしをするか、どちらが良いかは明白であろう。それが1日のみではなく、一ヶ月、半年、一年と累積したら、大きな差につながるであろう。これこそまさに二極化につながる。

 

「自由な時間」の使い方

「自由な時間」が増える中で、その時間の使い方が重要となり、人々を二極化へと招くことになるということである。だからこそ、「自由な時間」を効果的に使えるように考えていくことが必要である。

 

これに加え、最後に加えておきたいことがある。こんだけつらつらと書いたが、「自由な時間」の使い方には正解はない。スマホゲームをディスってしまったが、自分がスマホゲーム開発者である場合は、スマホゲームも効果的な時間の使い方かもしれない。また、振り返ってみれば、あの時にいつも〇〇してたことが今につながっていたということも多々あることである。なので、ただひとつ言えることは、自分の現在の「自由な時間」の使い方を見直し、それがどのように自分の役に立っているか考えてみることである。正解がないので本当に考えてみるだけであろうが、時間の使い方を見直す良いきっかけになると思う。そして、少なくとも、適当に「自由な時間」を使うことだけはないようにしたいものである。

 

 

ではでは。