徒然なるままな想い書き

何気なく見たり聞いたりした時に得られる『思わぬ発見、気付き』を読者の皆さまに届けています。

決まっていないほうがラク?可能性の中に生きるということ

将来は〇〇になる!

私自身のことですが、そろそろ就活が大詰めになってきています。自分の中では就職のプラン、将来はこうなっていこうというものが決まりつつあります。

 

就活当初はいろいろと考えていました。このまま大学に残るとか、この業界はどうかとか、あっちの業界はどうかとか。いろいろな選択肢、可能性がありました。でも今ではその見極めも終わり、特定の業界に絞っています。

 

そしていざ決まってくると、同時に自分のことも分かってきます(所詮自分の思い込みだけども)。そうなってくると、はじめは自分と就職とのギャップ(不透明な部分、可能性)があったものが、気づけばそのギャップが埋まってくると同時に、不透明な可能性の部分も、徐々に透明なもの(自分ができるかどうかがはっきりする)へと変わっていきます。「私ならば、こういうことができるはず」という明るい可能性が、今の自分はこうであるという暗い現実へと変わっていくのです(「暗い」はあくまで対比です、悲観的は良くないです!)。

 

可能性の中に生きることは結構楽しい

そう思うと、人間ってもしかしたら自分はこういうのができるとか、こういうのになりたいから頑張ろうとかが案外好きなのかもしれません。そしてその多くは、そのことについて考えることが楽しいものなのかもしれません。つまり、まだ現実ではない可能性の段階があることは、人間にとって楽しいと感じるものではないかということです。

 

あまり例えに相応しいかどうか分かりませんが、例えば洗濯機を買うとすると、当然いろいろな商品の中からお目当ての洗濯機を買うことになります。買う段階では、洗濯機の選択肢は可能性に満ち溢れています。それら可能性について悩み、考えることは皆さん楽しいと感じるはずです。しかし一方、お目当ての洗濯機をいざ買ってしまうと、その可能性は途端に現実のものとなり、消滅します。そうすると、自分のお目当てのものであったにも関わらず、案外選んでた頃のほうが楽しかったと感じるはずです(少なくとも私は)。このように、可能性の中で考えることは楽しく感じ、それが現実となると途端に楽しさがなくなるといった経験が皆さんにもあると思います。

 

この楽しさには注意が必要

洗濯機の例では、たいていの人は実際に買ってしまう人がほとんどだと思いますが、この可能性の中で考えることの楽しさに味をしめてしまうと、その可能性の中から抜け出せなくなることがあります。「私は今はこんなんだけどいつかはああなる」、「自分にはいろいろな可能性がある、何をしようかな?」とかです。これらは、結局今現在の自分に可能性を感じることが楽しくて満足してしまい、可能性をなくしてしまう実際の行動をしなくなることにつながってしまいます。可能性の中に生きることは、今現在の自分に満足してしまい、次の一歩を踏み出しにくくしてしまうのです。今まで「いつかはできるはず」と思って逃げてきた人は要注意です。そんないつかは来ないのです。それを楽しくラクだと感じ、行動に移らないのだから。可能性は可能だからこそのものです。実際に行動に移さなければ意味がありません。

 

まとめ

今回はまとめると、自分の可能性という本来はポジティブな意味合いのものが、実はそれを実現するための足かせになっているのではないかということについて書いてみました。ものを買うときのように、いろいろな可能性がある場合でも、実際にこれだと決めて買ってしまう、つまり、実際の行動に移せるようにしたいものですね。たとえ、それが可能性を潰すことになろうとも。

 

ではでは。

 

P.S

書いていて思ったのですが、この「可能性」についての話は最近読んだ本に似たようなことが書いてありました。特に意識はしてなかったんですけど、本を読み、学ぶことで潜在的に自分の知識や思考は身についていくんだなと感じました。ちなみに読んだ本は以下の本です。斬新な考えが多く、刺激的でした。

嫌われる勇気

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