保存から消費へ、私たちのコンテンツに対する捉え方の変化
音楽はCDからストリーミングへ
最近音楽業界ではSpotifyのようなストリーミング配信サービスが流行っています。これは、膨大な種類の音楽をストリーミングによってユーザーに配信し、月額制で収益を得るビジネスモデルです。
今までの音楽のビジネスモデルは、レコード、カセット、CDのような記録媒体に保存したものを販売するモデル、iTunesのような楽曲を配信し、販売するモデルと遷移してきました。インターネットの進歩により、記録媒体がなくともユーザーに音楽を提供できるようになったことが背景にあると思います。そして、このことは音楽にかぎらず、動画でも同じことが言え、ビデオテープからYouTubeのようなストリーミング配信へと変化しています。
音楽や動画の扱い方も変化していない?
このようにして、ユーザーにコンテンツを届ける方法が変化してきた今日このごろですが、一方で、その扱い方も変化していると言えます。例えば、カセット、ビデオテープのころは、そのコンテンツは記録媒体という実体を持ち、自分が保有しているということで、結構大切に扱います。一方、ストリーミング配信は基本的にコンテンツの量が莫大にあり、それを一つずつ選ぶため、一つ一つの扱いは多少雑になります。価値と時間と量の関係で述べたのと似ていますが、コンテンツが多すぎるせいで一つ一つの価値が低く認識されている気がします。
保存から消費へ
上のように考えてみると、コンテンツはライブラリとして保存して楽しむというよりも、食べもののように消費していくものに変化しているように感じます。何気なく見たり聞いたりして、その後同じものは二度と見たり聞いたりしなかったりします。
これが最近顕著に現れているものがあります。それは、受信して閲覧してから数秒後に消えてしまうメッセージ、画像サービスです。これらサービスは本来より 気軽なコミュニケーションを目的としているのでしょうが、一方で、このサービスが与えるコンテンツは消えてなくなる「消費」に他なりません。
今のコンテンツの消費の形には注意が必要
このようにコンテンツは保存から消費へと変化しているように感じます。そして、この消費の形は、危険な点が存在すると考えています。それは、一過性による利点が得られにくいことです。これも価値と時間と量の関係と似ていますが、他にも同じようなものがあるだろう、後でもう一回見たり聞いたりできるだろう、と思っていると今自分が対峙しているコンテンツから得られる感動や教訓がそれほど心に残らなくなってしまうのです。一度しかないものだからこそ、そこに価値を感じ、自分のアンテナをしっかりと張るようになるはずです。ただ、先ほど述べた消えてなくなるメッセージサービスについては、その一瞬を味わうことができるため、これはありなのかなと思います。
まとめ
情報化社会が発達し、コンテンツは大量に発生し、保存して何度も楽しむのではなく、その場限りのものとして楽しみ、消費していく形に変化しています。今回言いたいことは、コンテンツは大量にあってほぼ無限ですが、自分がそれを消費する時間は有限であるということです。色々なコンテンツがあって替えが利くから今は何となく見たり聞いたりしようと思いがちですが、実際にもう一度似たようなコンテンツを復習することは時間の制約上なかなかありません(これはいつか使うからとっておこうと思って捨てられない感覚に近いです)。そのため、替えがあるなどと思わず、しっかりとコンテンツを今楽しみ、味わうことが必要と言えます。
人間は今を生きています。替えがあると思って今を無駄にしてはいけないですよね。
ではでは。