徒然なるままな想い書き

何気なく見たり聞いたりした時に得られる『思わぬ発見、気付き』を読者の皆さまに届けています。

自分らしさって何?自分の思う自分は自分ではないという考え

f:id:tsurzur:20140910080631j:plain

「自分らしさ」

自分らしさとは何でしょう?〇〇が得意、〇〇が苦手、いろいろあると思います。

でも正直私は良く分からないです。自分らしさや個性、キャラを出せと周りからは求められる昨今ですが、それを自分で完全に理解している人は少ないのではないでしょうか?

 

自分らしさとは、自分のことだから自分で決めたいところですが、結局は自分と関わる他人が決めることだと思います。テレビで出ている有名人がいい例です。彼らは、実際には彼らなりの自分らしさや性格があることでしょう。しかし、私たちが思う有名人らしさというものは、彼らそのものではなく、テレビを通じた「他人が見た(作った)表面的な彼ら」です。そしてその表面的なものによって、彼ららしさが規定されています。そして、一度規定された「らしさ」は、噂となって勝手にひとり歩きし、もはや自分ではないものが、自分の「らしさ」となってしまいます。

 

有名人に限らず、私たちの「自分らしさ」は、他人が私たちの表面の部分から勝手に特徴量を抽出し、それを「私たち」として決めつけてしまいます。これまた例として有名人とそのモノマネ芸人を挙げますが、「有名人の表面的な特徴量(仕草、言葉)」さえ身につけてしまえば、モノマネ芸人は時としてその有名人よりも、「有名人らしさ」を手に入れてしまうのです。

 

自分の思う自分は自分ではない

そこで、私が思うには、タイトルにも挙げましたが、「自分の思う自分は自分ではない」ことを自覚する必要があるということです。私は結構内向的なので、自分で黙々と考えることが多い人間ですが、その場合、自分では自分のことをこう思っていたのに、他人は全然そんなこと思っていなかったことが結構起きます。まぁなんでこんなこと考えているかというと、私は現在就活中で、結局自分で自分の長所や短所を考えていても結局は「自分側」しか見えておらず、自分らしさを規定する「他人側」が全然分からないということに行き着いたからです。このように他人が「自分らしさ」を規定するということで、自己分析以外に他己分析があったりして、なるほどと思ったわけです。

 

まとめ

ということで、今回は自分らしさについて書いてみました。「私」が他にもいろいろと考えていても、結局「私らしさ」を規定するのは、表面的な自分、ここでは、この「ブログ上の文章」となってしまいます。この文章から、「私らしさ」がどのように他人に感じ取られるかは、とても怖いですけれども、非常に興味があります(笑)。

 

ではでは。