「みんなの笑顔が見たいから」は本当?偽善やボランティアについて考える
「みんなの笑顔が見たいから」
この言葉、よく耳にすると思います。「あなたの喜ぶ顔が見たかった」なども同様に。この言葉を相手に言う時、多くは自分が何か相手のためにしてあげたいと思った時にする行為の理由として言うことが多いかと思います。
でも言葉の意味を考えてみてください。果たして、本当に相手のためだと思って言っているのでしょうか?言葉の意味の揚げ足をとるようですが、この言葉の主語はあくまでも「自分」であり、それを望んでいるのも「自分」です。つまり、この言葉が意味する理由は「自分のため」なのです。本当に相手のことを思っているのならば、「みんなが笑顔になって欲しいから」とでも言えばよいでしょうかね。
この言葉の意味とその利用率の多さを考えた場合、人は案外無意識的に「相手のため」というよりも「自分のため」に相手にとって良いことを行っているように思えます。でも、「自分のため」であっても、決して悪いことだとは思っていません。自分が相手のことなど全く考えず、自分のことしか考えずに「みんなの笑顔が見たいから」行ったことが、「相手のため」になるのであれば、私はそれでいいと思います。世の中ではそれを「偽善」とでも言いますけど、それは「自分が偽善」なだけであって、相手はそれによって「とても良い恩恵」を受けられ、「絶対的に良いもの」であるからです。なので、ボランティアなどの無償の相手への行為は、それを行う人の考えなんてものはどうでもよく、相手にとって絶対的に良い行為であるように私は感じています。
私自身のことを言うと、やはり「自分のため」の部分が強いです。自分のためにならないのであれば、「相手のため」に何かするということはなかなかためらってしまいます。もちろん、「みんなが笑顔になって欲しいから」という気持ちもありますが、「自分のため」に比べると弱いです。「結局自分」になりがちです。
ということで、今回は「他人のため」と思っていることでも、案外「自分のため」と思ってやっているんじゃないかな?それに自分は気づいているのかな?という疑問について書いてみました。
ではでは。